top of page

コンパクトな島にひろがる

​壮大なドラマ!

歴史から発見!一緒にタイムトリップ。

島の端から端までは車で約30分。ぐるっと一周回るだけなら約2時間半。

まるくて小さい「島後(どうご)」には約2億5000万年前から現在までの歴史がぎゅっと詰まっています。

​その歴史スポット中に、あなたの心くすぐるもの、ときめくもの、好きなものはありますか?

普段はなかなか取ることの出来ない「趣味や興味を楽しむ時間」。

ともすれば忘れそうになる「自分の好きなこと」。

ちょっくらOKIで「夢中」になってみませんか?

遠流の地とされていた隠岐の島。

先人たちだってきっと、いろいろな思いを抱えていたことでしょう。

彼らが佇んで見た景色、感じた風、聞いた音は今とまったく同じではないかもしれないけれど、

歴史を知り、学び、感じることが自分を見つめ直す時間となり、あなたに何かのきっかけを与えてくれるかもしれません。

銚子ダムで見られる隠岐片麻岩
隠岐は大陸の一部だった!?

約2億5000万年前、隠岐を含む日本列島はパンゲアと呼ばれる大陸の一部だったそうです。その証拠が「隠岐片麻岩」。​銚子ダムで見られます。

玄武岩でできている黒島
隠岐、現れる!

約600万年前の火山活動によって、いまの島の原型が造り出されたとか。

黒っぽく見える小さい島は玄武岩でできています。約350万年前に噴火した火口跡です。

隠岐諸島.JPG
やってきた地球温暖化!

隠岐は約1万年前、今のような4つの島々になったと考えられています。

平古墳の横穴式石室
こんなにあるの!?

なんと約200基の古墳が分布。

島後では9基の前方後円墳が確認されています。いずれも古墳時代、6世紀代になってから築かれたようです。

隠岐国分寺蓮華会舞の一幕
平安時代の舞!?

毎年4月21日に奉納公演される隠岐国分寺の蓮華会舞。現在、7つの舞が演じられています。奈良時代から平安時代にかけて、大陸文化とともに入ってきた舞楽や無言仮面劇。蓮華会舞は当時の形に近いものを残していると言われています。

八尾川と国府尾城があったとされる城山

隠岐の山城、宮田(くんだ)城、国府尾(こうのお)城、勝山(かつやま)城は自然地形を利用して、監視や防衛のために使われたと言われています。

西郷岬灯台

2021(令和3)年3月31日に100周年を迎えた西郷岬灯台。国産初の第四等フレネル式レンズが今も現役で使われているそうです。西郷港を行きかう船の道しるべとして、今も海の安全を見守り続けています。

西村神楽の一幕
新しい時代へ。

20195月1日、元号は令和」へと

目覚ましいスピードで変わる世の中でも、住民によって粛々と行われる伝統行事。少子高齢化の中でも次の世代に受け継がれています。

大久で見られるグリーンタフ
グリーンタフって知ってる!?

緑色の岩はその昔、隠岐が湖の底だったことを教えてくれています。

約2600万年前から始まった火山活動によって、隠岐と日本列島は大陸から離れ始め、窪地に水がたまって湖ができたと考えられています。

黒曜石を含む岩肌
黒曜石といえば!?

3万年前の石器時代。黒曜石はナイフやヤジリなど石器の材料として使われていました。隠岐の黒曜石はその質の良さから中国地方を中心に近畿・四国・北陸地方、新潟県の糸魚川あたりまで運ばれていたとされています。

飯美地区の荒神さん
​縄文時代から!?

古来、神は不思議な力を持ち、姿を見せず、山や木や石などに宿るものとされていました。隠岐では今もそのような場所を大切にしています。そして、神を客人として招き、祈り願う祭りが今も行われています。

満開の桜と億岐家
大化の改新「飛鳥時代」。

日本最初の元号である「大化」。

645年に行われた国政改革により「日本」という国号と「天皇」という称号の使用が始まったとされています。

玉若酢命神社宮司家である億岐家が国造家であったと考えられています。

佐山牛突き場
天皇が隠岐に!?

鎌倉時代、隠岐に配流となった後鳥羽上皇と後醍醐天皇。

牛突きは里人が後鳥羽上皇を慰めるために始められたと言われています。

愛宕山から見る西郷港と西郷の町並み
隠岐にも停泊「北前船」。

西郷港は天然の良好として知られ、江戸時代の半ばから明治30(1897)年頃まで北前船の寄港地として栄えていました。

密集した町並みから当時の賑わいを想像してみてください。

北小学校で踊る水木先生

ゲゲゲの鬼太郎で知られる漫画家「水木しげる」のルーツは隠岐の武良であると言われています。

 

鳥取県境港市から伸びる「水木しげるロード」で妖怪を見つけませんか。

津戸の珪藻土
日本海誕生!

湖に海水が流れ込み、海となりました。

約1600万年前には、現在のような日本海になったと考えられています。

それを教えてくれるの岩石が「珪藻土」。最近ではバスマットやコースター、スプーンなどに使われています。

五箇地区で咲く隠岐しゃくなげ
隠岐は島根半島だった!?

約2万年前の氷河期時代、海面の低下によって、隠岐は島根半島と陸続きだったと言われています。隠岐はずっと離島だった訳ではなく、本州と何度も繋がったり離れたり。そこで生まれたのが隠岐独自の生態系なのです。

五箇地区の田園風景
​いまの田園風景は...。

弥生時代後期、隠岐に入ってきたと言われる水稲栽培。​季節により色を変える田園風景は、長い年月の賜物でしょう。

島後から島前を望む
奈良時代の書物に登場!?

現存する日本最古の歴史書「古事記」と2番目に古いとされる「日本書紀」。三子州(みつごのしま)の親島(母島)である島後を「沖の島」と呼んでいたことから全島を「おき」と呼ぶようになったと言われています。

中村川荷場谷の湧水
酒作りのはじまり。

対馬暖流の影響を受けた豊かな海と、豊富な湧水に恵まれ、自給自足のできる半農半漁の島。

​米がある。水がある。室町時代後期には酒が作られていたと言われています。

準備中
激動の明治。

明治元(1868)年に起こった隠岐騒動。

松江藩の郡代を追放して80日間にわたり島民による自治が行われたとされています。

旧隠岐の島町役場
平成の大合併!

平成16(2004)年10月1日

西郷町、布施村、五箇村、都万村が合併し、隠岐の島町が誕生しました。

町が持つ自然・生活文化などの資源を活かした新しい観光が始まります。

bottom of page